素の自分を隠して友達はできる?

こんにちは!
月一くらいでヒトカラに行くのですが、いつも喉のウォーミングアップをしないでいきなり全力で歌ってしまうので、早々に喉がつぶれて後半は黙って読書していたりします…(笑)
ハナサク会話堂 講師のさとです。
「人前だと気を使ってしまって素の自分を出せません」
という悩みをよく聞きます。
僕も元々は超人見知りなのでそういう気持ちはよ~くわかるのですが、やっぱりこの呪縛を少しずつでも解いていかないとなかなか親しい人間関係は作れません。
毒をまき散らさなければそうそう嫌われることはない
そもそも、みなさんが出せない「素の自分」とは具体的にどんなところでしょうか?
「みんなでカラオ行こうよ!ね!カラオケ行ってくれなきゃゼッタイ嫌だ~!」というワガママですか?
それとも「お前、でしゃばりすぎ!ウザいんだよ!」という悪口ですか?
…違いますよね(^^;
きっと「オタク的な趣味があるのに打ち明けられない」とか「相手に聞きたいことがあっても遠慮してしまう」とか、それくらいのことだと思います。
相手を傷つけるための否定・批判をしない
その場にいない人の陰口を言わない
悪意のあるウソをつかない
相手を無視して自分の意見を押し付けない
こういう人として当たり前のことさえ守っていれば、あとはもっと素の自分を出してもいいのです。
いえ、出しましょう!
人間関係は鏡
「素の自分を見せられない」と悩む人には、多くの場合「周りの人たちも私に心を開いてくれない」という悩みがセットでついてきます。
なぜなら、「人間関係は鏡」だから!
相手が心を開いてくれないのは、あなたが心を閉ざしているから
なのかもしれません。
「一応グループに属してはいるけど、なんか自分だけ浮いてる気がする…」と疎外感を感じている人もいるかと思いますが、本当はあなたの方が殻にこもって周りを遠ざけてしまっていませんか?
そういう態度って、何となく伝わってしまうものなんですよね…。
心を開いてもらいたいなら、まず自分が心を開くこと!
それは「あなたのことを信頼していますよ」というメッセージになります。
コンプレックス、悩み、ネガティブな感情、…。
中には他人に言いづらい部分もありますが、だからこそ、そこを正直に伝えてくれた相手に人は心を許すのです。
覚えておいてください。
「人間関係は鏡」です。
「仮初めの10人」より「本当の1人」
相手を気遣うことはたしかに大切です。
ですが、行きすぎた気遣いは壁となり、お互いの心を余計に遠ざけてしまいます。
そんな状態で、誰かと友達や恋人になれるでしょうか?
仮になれたとしても、それから先もずーっと相手の顔色をうかがい続けなければいけなくなってしまいます。
そんな付き合いを無理して続ける意味ってあるのでしょうか?
仕事関係の人であれば、気が合わなくても関係を続けなきゃいけないこともあると思います。
ですがプライベートの人間関係は、自然体で楽に付き合える人との関係さえ大切にすればいいと思うのです。
それで仮に一人しか残らなかったとしても、別にいいじゃないですか。
それでどんな不都合がありますか?
「気を使い続けなきゃいけない仮初めの友達10人」より「素の自分を受け入れてくれる1人」との関係のほうが、よっぽど充実したものになるはずです!
それに心配しなくても、素で付き合える友達が一人でもできれば、二人目・三人目はもっと楽につくれますよ(^^)